第1話 一匹狼
 
 俺は教室の自分の席に座っていた。窓際の列の最後尾,まあ悪くは無い。むしろ好都合とも言える。何しろ,クラス全体がひと目で見渡せるのだ。大勢で集まっておしゃべりに花を咲かす女子達がどこにいるのかも,ケータイの着メロを自慢している男子は誰なのかも,すぐにわかる。しかも俺の気配は消されたまま。
 このクラスに,俺はまあまあ満足していた。こうして教室の隅に座っているだけでいいからだ。この間のテストがどうの,隣のクラスのあいつがむかつくだの,好きな奴は誰かだのと,うるさいことを言ってくる奴は誰一人いない。それが俺にとっては非常にありがたかった。
 チャイムが鳴った。俺ははっとして時計を見た。もうすでに夕方だった。
 何人かの顔がパッと明るくなった。理由はすぐにわかった。
「おい,行こうぜ。」
「今日は何やるんだ?」
「いつものトレーニングだろ?」
 そう,放課後のグループの集まりだった。皆好きな事をするのだ。その好きな者同士が集まる。俺のクラスでも他のクラスでも,大抵の奴はどこかのグループにいる。
 俺はどでかいため息をつき,立ち上がった。
 
 グループの集合場所になっている扉を開けた。
「おいーっす!」
 そこにいたのは同年齢の仲間の1人だった。リーダー格を真ん中に,3人ほど集まって話をしている。
 何の話してるんだ,と,俺は言いかけて止めた。俺についていける話ではないことがすぐに分かったからだ。
「今どこよ?」
「え〜と,確か××××。なかなか抜けれんちゅーに。」
「俺なんかまだ○◎●だぜ。」
 何を言っているのかさっぱり分からない。ただ,聞き取れない単語は明らかに日本語ではなかった。少なくとも,語源は日本語には無い。じゃあ何語なのかと聞かれても,それ以上は分からないが。
 たびたび出てくる単語の意味が分からない以上,俺が彼ら彼女らの話についていくのは不可能だった。だいたい,興味も持てない。俺にはずいぶんと縁遠い世界の事のように思えた。
「なあ,お前もやってみろよ。」
 突然話を振られた。俺は困った。
「無理。」
 嘘ではなかった。俺のさまざまな事情を考えれば。だが奴らに話す気にはとてもなれないものばかりだ。そして奴等はそんなことなどお構いなしに好き勝手な事をまくし立て始めた。
「1回やってみろよ!ぜってーハマるって。」
「無理とか言うな!」
 俺は訳が分からなくなった。聖徳太子でもないのに,いっぺんに聞き分けられるはずが無い。おまけに訳の分からない単語をわんさかと使うものだから,どうしようもない。俺は意識が遠のくような,そんな気分になった。
 そのとき,リーダー格が,笑っているのかどうなのか見分けのつかない,さげすむような表情を浮かべて言った。
「こんなおもしろいものを,やりたがらない奴はバカだよ。」
 俺は顔がかっと熱くなるのを感じた。ふざけんな。殴りかかりたくなる衝動をじっとこらえた。
 正直,俺だってできればみんながやっている事をやりたかったし,話についていけるようにもなりたかった。だが俺にはそれを許さない事情があった。それでなくても,このリーダー格の言い草は俺にとって腹の立つものだった。
(お前が面白いからって,俺にも面白いとは限らねえだろ!)
 悪いことに,周りの奴等まで同調し始めた。
「そうだぞ,この人の言うとおりだ。やれよ。」
「お前,一生後悔すっぞ。」
 俺は必死に歯を食いしばり,耐えた。怒ってはいけない。取り乱してはいけない。そうすれば,奴等の思う壺だ。両手の握りこぶしに力をこめた,そのとき――――――――――
 俺は,身体が軽くなるのを感じた。足が地面から浮き,どんどん上にあがっていく。それも,身体は残したまま。
 俺は自分の手を前にかざした。透けている。いや,ほとんど無色透明に近い。次の瞬間には,無色透明の俺の足が,地面に残してきた俺のヌケガラの頭から離れた。俺は,影や幻と同じ存在になったのだ。
 ヌケガラは笑っていた。「いやいや,冗談だって。」と言って頭をかきながら。奴等も気をよくしていた。だが,頭の上にいる俺の存在には気がついていない。俺は虚空をかき,さらに上にあがった。天井にぶつかったが,軽く押し戻されただけで全く痛みは感じなかった。高みからヌケガラとそれを取り囲む人間達を見つめながら,俺は出るはずも無い涙を流しそうになった。
(仲間がほしくないわけじゃない。ただ俺は,本当の仲間を探しているんだ――――――)