第2話 カメラ
 
 俺のポケットの中に,今日はカメラがあった。といっても,ポケットに入るくらいだから,そんな大それたものではなくて,普通にコンビニで売っている小型の使いきりカメラだ。
 普段と変わっているところはどこにも無く,違うのはただポケットにカメラが入っていることだけ。だがそれだけでも,何かが違った。
 俺は騒がしい人の群れから離れ,窓のそばに行った。外はくもり空だ。窓から見える町の景色も,もう見慣れた。
 カメラに手を伸ばそうとした,そのとき。
「マックル,ケファを知らない?」
 マックル――――――――――それは昔,俺の名だった。今は違う。世界の中にあった俺の場所を失うと同時に,俺は名前をも無くしてしまったからだ。ヌケガラに奪われてしまった名前。それが「マックル」だ。
 俺はそのとき,たまたま身体に戻っていた。だが,身体に戻っていても,俺の名は戻っては来ない。もともと1つだった俺とマックルは,もはや別の意思を持った別の個体となっていた。ならば俺の名も「マックル」でもよさそうなものである。だが,俺は誰にも見えない。俺とマックルが2つに分かれていれば,隣同士にならんでいても,他の奴らにはマックルのほうしか見えない。俺は半分すでにはみ出していた世界から,叩き落とされてしまったのだ。
 俺は「マックル」と呼ばれたとき,それが自分を指していることに気づくのにしばらくかかった。そうだった。今は身体に戻っているんだった。俺は慌てて,声の主のセアに返事をした。
「いや・・・知らない。」
「わかった。」
 セアは例のグループのリーダー格,レガのほうへと向かっていった。俺はレガに背を向けた。
(あんたらには絶対わからない。どこにもいられない俺の気持ちなんか。絶対に――――――)
 俺はその場を立ち去り,カメラを窓の外に向けた。何の変哲もない風景を2,3枚,撮った。
(みんなには住み慣れた世界かもしれない。もちろん,俺にとっても。でも,昨日と同じ今日は無い。昨日あの道を走った車が,今日も同じ道を同じ時間に走るとは限らない。空に浮かぶ雲だって,昨日と同じ形をしていることはありえない・・・・・) 
「何してんの?」
 後ろからレガの声がした。
「何って・・・・何してようが俺の勝手じゃん。」
「んなもん撮って楽しいかよ?」
 いつもの,俺を軽蔑するような口調だった。セアやケファにはこんな口調は使わないくせに。もっとも,レガだけではない。他の奴等の視線の中にも,俺は軽蔑のオーラを感じ取っていた。俺がどこの世界にも属さないからだ。くだらない。どうせお前らに俺の気持ちは分からない。
「楽しいよ。お前には分からないだろうけど。」
 そう言って俺はマックルの身体を離れた。俺が身体を離れるのは,俺自身が暴走しそうなときだ。周りの人間に,危害を加えそうなとき。そんな時,俺がマックルから離れてしまえば,俺には激しい痛みが襲い来る。そのかわりマックルは大人しくなる。周りの奴等は,もちろん気がつかない。もっとも,激しい痛みに襲われるようになったのはつい最近のことだ。セアやケファ,レガと知り合ってしばらくたってからのことだ。
(俺さえこの痛みに耐えれば,世界は平和でいられる。・・・でも,離れるときのあの痛みが日増しに耐えがたくなるのは,気のせいかな・・・)
 世界は意地悪だ。俺の弱みを,えぐるようにチクチクとつっついてくる。そうして俺がムキになるのを待っている。俺がかっとなれば,後は奴等の思う壺だ。俺に嘲笑を浴びせるチャンスを,世界はいつもうかがっているのだ。中に溜め込んだ不満は,そこからこぼれたものに押し付け,またすまし顔で戻っていく。ならばいつまでも見つめ続けよう。そしてフィルムに残してやろう。
 俺はカメラをレガの背中に向け,シャッターを切った。そしてカメラを次々と他の人にも向け,何度も何度も,シャッターを切った。