第5話 壊れた歯車
 久しぶりに俺はマックルの体に入ったまま外に出た。何かにつけ忙殺されて学校と家を往復するだけの生活で、外へ出る暇もなかった。仮にあったとしても、いつグループの奴に会うか分からない以上、俺はマックルの体を離れていなければならなかった。
 だが、今日は違う。マックルの体のまま、どこへでも行ける。
 本当は、今日はグループの集合日だった。けれど、俺はさぼった。あのような形で飛び出してきてしまった以上、戻るわけにはいかなかった。戻りたくなかった。
(あんな奴らに頭下げてまで、戻る筋合いなんかねえ。)
 ふらふらと歩きながら俺は考えた。この社会もまた集団に重きを置く社会だ。すべての人は何らかの集団に属し、歯車を動かす立場にあるほんの一握りの人間以外は、その他大勢の歯車の1つとして扱われる。歯車は一個では役に立たない。多くの歯車の中に組み込まれて初めて意味を持つ。この社会の歯車はみんなそう考えている。
 だから集団から蹴り出されることは、社会から抹殺されることを意味していた。生きるためには、ほかの集団の歯車となるしかない。だがそれはそこそこ動ける歯車の話だ。俺は壊れてしまった歯車だ。いや、もっと言えば、俺は元々歯なんか無いただの円盤かもしれないのだ。現時点で分かることは、俺はこれ以上歯車となって回ることができずに、レガの動かす機械の中から自分ではじけ飛んでしまったと言うことだけだ。確かに、これ以上苦しむことはない。だが、これからどうなるあてもない。
 携帯電話の電源は切りっぱなしだった。
(あいつら・・・かけてくんのかな?意外と俺のことなんかどうでもいいんじゃねえの?俺はこれまでだって、あいつらとうまくやれたためしなんか無いし、あいつらにとっても俺は単なるうざい奴なんじゃねえのか?)
 辺りを見回した。携帯電話のスイッチを入れ、メールを確認した。メールは1通も来ていない。
(・・・そんなこったろーと思ったよ。所詮俺はそういう存在でしかない。あいつらが俺のこと心配すんのも、建前だけだ。いい仲間って面したいだけなんだ。)
 携帯電話をポケットにしまって、俺は表通りを少し離れてみることにした。ビルの谷間から、薄暗い空気が漂う。
(・・・・・・)
 通りに面した場所はにぎやかだが、そこを少しでも離れれば人の気配は無い。だが俺はこの裏通りのにおいに惹かれた。生身の人間のにおいとも言うべきだろうか。明るい場所で精一杯厚着した人々が、夜になってここへ戻ってきて素っ裸になる。そういう嘘のない人間の姿に俺は惹かれる。
(何かがある気がする。光の当たる場所では絶対に見えない何かが、ここにはある。)
 あたりは物音さえしなかった。ゴミに群がるカラスや野良犬さえ見あたらなかった。しんと静まりかえった空間に人間臭さだけが漂う。はずだったのだが、どういう訳か、俺はかすかに誰かの存在を感じた。
 人の気配、にしてはあまりにも希薄だった。ましてやゴミを貪りにやってくる狡猾な野生動物のような生命力はみじんも感じなかった。それは消えかかったろうそくの炎みたいに、俺に助けを求めるように漂っていた。
「誰かいるのか!?」
 思わず俺は叫んだ。俺の声だけがあたりに響いた。
(!!)
 振り返った俺の目の先に、白いもやが見えた。否、ただのもやではなかった。半透明ではあるが、それは確かに人の形をしていた。長い髪の美しい少女の形。薄暗い裏通りの塀に、うつむきながら寄りかかっている。
 俺は彼女に駆け寄った。彼女がはっと顔を上げ、目を見開いて一歩引いた。
 俺は彼女の顔を見つめた。
 彼女の唇からかすかな声が漏れる。
「・・・あたしが・・・見えるの?」