第6話 迷える二人
 少女は硬直したままそこに立っていた。俺もしばらく、次に言うべき言葉が出てこなかった。
「・・・透けてるけど・・・一応、見える・・・・」
「どうして・・・?」
「え?」
「透けてない人に見られたの、初めて・・・あたしの姿は誰にも見えないと思ってたのに・・・」
「あ、俺も・・・透けてないのは今だけなんだ。いつもは透けてて、ほら。」
 俺はほんの少しの間だけ体を離れて見せた。足が体から離れないうちに戻った。一瞬たりとも、体を逃してはいけない。
「あ、ほんとだ・・・」
 ようやく、俺と彼女の硬直がとけた。
 よくよく見ると、白いもやかと思ったものは、彼女の顔と手の先だった。ほかの部分は、黒くて長い髪と服とブーツにすっぽり覆われ、まるで闇から光がのぞくようだった。
 俺と彼女は並んで歩き始めた。人通りのない道に俺の靴音だけが響く。
「キミは、自分の体、ちゃんとあるんだ。」
「ああ。でも、目を離すと、すぐどっかいっちまって。で、たいてい誰かに痛めつけられて帰ってくるんだ。でもぜーんぜん、気づいてない。」
「気づかないふりしてるんだね。」
「たぶんな・・・」
 マックルと俺の関係を説明するのはかなり面倒だった。別々なようで、一緒なようで、よくわからない。ただ、マックルから俺が離れてから、俺は必ずどこかが痛かった。マックルが泣いたり怒ったりすることは全然無いが、俺はおそらく、その分も背負わされているのだろう。
「痛いよね。」
「えっ・・・!?」
「痛いでしょう?」
 俺はしばらくどもってしまい、会話が続かなくなった。そんな俺の顔を、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべてのぞき込んだ。図星を指されていたのだ。
「な、何で、わかっ・・・」
「あたしも痛いの。ずっと。締め付けられてるみたい。」
 ここまで来ると俺にもやっと状況が飲み込めた。彼女も俺と同じなのだ。俺は胸をなで下ろした。
 
「あたしはカタミ。本名がわかんないから、勝手に決めた。」
「俺は名前が無い。マックルってのが本体の名前だけど、どうもそれを名乗るのは違和感があって。」
「自分で名前、考えればいいじゃない。」
「無理だよ。俺、センス無いもん。」
「あたしにだって無いわ。カタミだなんて、死んだ人の“形見”みたいで縁起悪いじゃん。」
「そうでもねえよ。」
「そう?君がそういうなら・・・君の名前も決めちゃった!」
「早ッ!」
「君の名前は・・・プラネット!」
「“惑星”か。俺にぴったりじゃん。ありがとう。」
「へへ・・・」
 他愛もない会話。久しぶりに心がほぐれた。飾らない言葉たち。
(人が本当に心を開いて話が出来るのは、自分と同じ境遇に立っているか、立ったことがあって、それを覚えている人間なんだ。)
 そのうち言葉がとぎれた。カタミがうつむき、しばらくたってからつぶやいた。
「あたしは、どうして肉体を離れてしまったのか、分からない。何で名前まで忘れてしまったのか、そのきっかけは覚えてない。でも、あたしはすごく悲しかった。周りの人と違うってだけで、悪者みたいに扱われるのが辛かった。・・・あたしが、何したって言うの・・・あたしはずっと、自分が悪いんだって思ってた。自分に言い聞かせてた。だけど本当は、あたしは悪くないって思いたかった。だけど、あたしの味方は誰もいなかった。みんなあたしを変な目で見た。どうして・・・あたしは何も悪くないのに・・・ただ、みんなと違うだけなのに・・・真面目に何かを考えることの、どこが悪いの!」
 突然カタミは泣き出した。
「・・・うっ・・・・・」
 俺にはカタミの気持ちが痛いほど分かった。俺だって似たようなものだ。レガにはいつも馬鹿にされる。セアやほかの連中に相談したこともあった。だがまともに取り合ってはくれない。そのくせ、「自分たちは仲間だ」だの「困ったことがあったら相談しろ」だのとほざく。カタミとは状況が違うかもしれないが、周りに真の味方がいないのは同じだ。 しかし俺には、カタミにかける言葉が見つからなかった。泣き続けるカタミのそばで聞いていることしかできなかった。俺はそんな自分を情けなく思った。畜生。畜生。畜生!俺も泣きそうになった。唇を噛んで、必死で涙をこらえた。
「・・・プラネット・・・」
「・・・?」
「・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・ありがとう」
「えっ・・・!?」
「・・・・今まで、あたしが誰かの前で泣いたら・・・・絶対、こういわれたの。
 “それぐらいで泣くな”って。確かに、他の人には些細なことかもしれないけど・・・でも、あたしには泣きたいぐらい辛いことなのに・・・・全然、分かってくれようとしなかった・・・・・・
 でも、プラネットはそういわなかった・・・・ずっとあたしの横にいてくれた・・・・・・すごいうれしい・・・・・」
 カタミがそんなことを言ってくること自体、俺は予想さえしなかった。ただ俺はかける言葉が見つからなくて、黙っていただけだったのだ。
(うまく励ますだけが能じゃない。黙って聞いてあげることでどれほど人はいやされるだろうか・・・そして、そのことにいったい何人が気づいているだろうか・・・)