最終話 袋小路
 そうしているうちに俺は、周りに何やら怪しい気配を感じ取った。何だか、体の芯から冷えてくるような、いやな感じ。
「・・・なんだろ・・・何かおかしい・・・」
「ほんと・・・わかんないけど、怖い・・・」
 ふと、俺の目に黒い物体が飛んでいくのが見えた。しかも、その数はどんどん増えていく。
(何なんだこれは?)
「うわっ!!」
 その黒い影は俺の目の前もかすめた。
「きゃあっ!」
 カタミも巻き添えを食らった。
(何なんだよ全く!俺たちに文句でもあんのかよ!)
 全く訳が分からなかった。カタミはまた泣きそうになっている。その間にも黒い影はどんどん増えて、俺たちの周りがだんだん暗くなっていく。
 そして遠くからかすかに、低い声が聞こえてきた。
「・・あ、・・・く・・・・・」
「何言ってやがんだ!!はっきり物言いやがれ!!」
 つい叫んでしまった。その声は俺の声の10倍くらいの大きさで返ってきた。
「早く来い!」
 声とともに突然、地面が激しく揺れ、あたりは真っ暗になった。
「何なのこれ!?」
「地震・・・にしちゃおかしいだろ!?」
 立っていられないほどに地面は激しく揺れ動いた。俺たちはその場にうずくまり、頭を抱えて目を閉じた。
 
 揺れがおさまり、目を開けて立ち上がると、そこは真っ暗だった。さっきまで周りにあった家々は、影も形も見あたらない。
(どこなんだここは・・・)
 果てしない暗闇だった。音もしない。唯一聞こえたのが、隣にいるカタミの息づかいだった。だが闇はそれさえもかき消してしまいそうで、俺はいても立ってもいられなかった。「カタミ・・・大丈夫?」
「うん・・・何とか、生きてるみたい。」
 コツッ、コツッ、コツッ・・・
 そのとき、遠くから足音が聞こえた。やたらとよく響く、不気味な音。
「見て!」
 闇の中にぼうっと人の顔が浮かんでいた。ほとんど首から上しか見えず、幽霊のようだった。
(でも、幽霊だったら足ねえから足音はしないはずだし・・・ってことは、生きてる人間か?)
「待っていたよ。」
 そいつが喋った。
 いくらかやせた、眼鏡をかけた男。年は俺とほとんど変わらないくらいだった。気のせいか顔がにやけている。嫌味な奴だというのが第一印象だった。
「あなたは誰?」
「この世界の管理者さ。名前はコウ。」
「何なんだここは?俺たちを引っ張り込んで、どうする気だ?」
「もちろん、君たちを導くのさ。」
「どこへ!」
「・・・光の照る世界。君たちが生きるべき世界さ。」
 そういって、コウと名乗るその男はにやりと笑った。背筋が寒くなると同時に、頭に血が上った。
「俺たちが生きるべき世界?そんなものどこにあるんだよ。」
「分からないのかい?君たちはそこから逃げ出してきたくせに。」
 逃げ出した、の一言で俺とカタミはすぐに気がついた。だが、その瞬間に隣のカタミは震えだした。俺も、さっき頭に上った血が全部下がってしまうほどの寒気に襲われた。
 耳の奥に、忌まわしい声がこだました。
『これぐらい知らない奴は哀れだな』レガだ。
『何でそれぐらいで悩むの。別にたいしたことないじゃん』セアだ。
(くそ、うぜえ、消えちまえ!さっさとどっかいけ!!)
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
 カタミの悲鳴が聞こえた。俺は頭を抱え、歯を食いしばった。消えろ、消えろ、消えろ!必死で念じた。
「苦しいだろう?」
 気遣う気は全くない、コウの声。だが、反論する精神的余裕はなかった。
「でも君たちは、それに耐えなくちゃならない。あれを見てごらん。」
 コウは俺たちに、指さす方を見るよう促した。
 そこには何体かの白い影があった。その影達は渦を巻いていた。そこにみんな吸い込まれていった。
「君たちがさっきまでいたのが、堕落の世界。そこから抜け出せなくなった人間の末路があれさ。渦の中は、言わずと知れた地獄さ。」
 それからコウは俺たちに向き直って言った。
「あそこへ行きたいかい?嫌だろう。でもこのままここにとどまっていたら、僕は君たちをあそこへ送らなくちゃならない。それが掟だからさ。いかなる境遇にあろうとも、社会にとけ込む努力を怠った人間は消える定めにあるのさ。
 あの中へ行きたくなかったら、努力をするんだ。別に君たちだけが苦しいんじゃない。みんな、それぞれ悩みや苦しみがある。君たちだけが逃げていいわけじゃない。選択肢は2つ。生きるか、死ぬかなんだ!」
 カタミは泣いていた。無理もなかった。口調は穏やかだが、明らかに脅迫していた。この手の脅しは、胸ぐら捕まれるよりある意味よっぽど怖い。だが俺は聞いているうちに馬鹿馬鹿しくなっていた。鼻で笑って俺は言った。
「・・・無駄だろ。」
「何だって?」
「無駄だ。選択肢は2つだといったな。あほくせえ。選択肢は1つにきまってんだろうが。」
「2つだ。生きるか、死ぬか!!」
「生きるイコール死ぬ、だ。俺たちにとってはな。社会にとけ込む?それが出来なくて俺たちは、お前のいう堕落の世界に降りてきたんだよ。」
「そこから戻ることは誰にだって出来るはずだ!」
「お前、なーんにも分かってねえな。社会にとけ込むってのは、俺たちにとって生ける屍になることを意味するんだ。そうだろう?自分のほんとの気持ち、何一つ出せなくなるんだからな。」
 カタミも喋り始めた。
「あたし達は、みんなに溶け込まなかったからこうなったんじゃない。元々溶け込めない運命だったの。あまりにもみんなと考えが違いすぎて・・・その違いそのものがあたしだったから、消せなかった。」
「そういうことだ。だから、俺たちがとどのつまり行き着くところは・・・」
 俺は例の渦の中心を指さした。
「あそこだ」
「どっちへ行っても結局同じ。なら、最初からそこへ行った方が良いわよね・・・」
 コウは明らかにうろたえていた。
「やめろ・・・やめろ・・・・!!」
「じゃあな」
 俺たちは渦の中心へ向かって走った。
「・・・また会えると良いね」
「会えるよ。たぶん。」
 渦の真ん中へぐんぐん引き込まれる。自然と足が速まる。
「やめろぉぉぉー!!」
 コウの叫び声を振りきった。
 
 渦の中へ踏み込んだ。
 すべてから解放されていく感触。
 すべてが消えていく感覚。
 
 どこまでもどこまでも、俺とカタミは堕ちていった。
 
 
END